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小樽管弦楽団のあゆみ

 

発足から今まで

戦後まもなくの頃、小樽の郵便局職員に千葉茂さんという方がおり、ヴァイオリンを一生懸命練習していました。先生は、同じ郵便局の先輩でもあった内山賢司さんでした。そのうちに、近所の子供たちが習いに来るようになり、「千葉ヴァイオリン教室」が誕生。年に何回か開催されるこの教室の発表会は、小樽の大事な文化となりました。まだテレビもない時代のことです。

 市内の音楽好きが集まって発足した「小樽室内楽協会」は昭和30年代に一度消滅してしまいましたが、昭和42年(1967年)6月に、千葉さんの先生であった内山賢司さんを代表とした14名のアンサンブル形態で再結成。同年11月に行われた、小樽市民音楽祭でモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークとバッハのブランデンブルグ協奏曲第五番を演奏し、演奏活動をスタートいたしました。

 その後、小樽商業高校で吹奏楽の指導をされていた、故 土谷浩先生がご指導くださり、管楽器を補強しながら次第に室内オーケストラの形態になりました。

昭和43年8月、第一回定期演奏会を小樽市民会館で開催。昭和60年より、名称を「小樽室内管弦楽団」へと変更いたしました。

 平成7年に待望の小樽マリンホールが完成してからは、秋に行う定期演奏会のほかに、小編成の演奏を楽しめるスプリングミニコンサートを毎年開催できるようになりました。また、小樽室内管弦楽団を愛して集まってくれる音楽仲間は小樽市内外に増え、時には大規模編成の交響曲も仲間の助けを受けながら演奏することもできるようになりました。

 平成24年(2012年)より、名称を「小樽管弦楽団」へと変更。以来、団員の確保に苦労しつつも、音楽と団員への愛情溢れる楽団を目指し活動しています。


 現在の団員は、40余名。大学生から80歳代まで老若男女、年齢層も職業も実に様々で、小樽市の他、余市や札幌、道内各地から小樽室内管弦楽団を愛する団員が集い、楽しみながら活動を行っています。


 

西宮交響楽団との交流

 小樽市は人口が減少傾向にあり、音楽人口も少ない中、我が団も大きな発展も無いまま発足から30年もたとうとしてた1995年頃だったでしょうか。兵庫の西宮市から一人の女性が、ご主人の転勤で小樽の街にやってきました。西宮交響楽団でコンサートミストレスの一人だった鳥越洋子さんです。団には音楽大学できちんと勉強をしてきた人がいなかったので、それはとても新しい風でした。

 彼女はこの吹けば飛ぶような団をもっと大きなものにしなければと、そのためのアドバイスや努力をしてくださいました。よく言われたのが、「まずなりたい形になるように願うこと。若い人の団員を増やしたければ一生懸命願うこと」です。
ほんとかな?と半信半疑でしたが、それでも皆で一生懸命願いました。すると、不思議なことに少しずつ若い団員が増えてきたのです。驚きました。

 彼女の発案で決まったことのひとつが、西宮交響楽団と小樽室内管弦楽団のジョイントコンサートでした。それも小樽でやるときは50人くらい来るというのです。信じられませんでしたが、本当に2000年の11月に大挙して沢山の演奏者がやってきたのです。本当に50人以上いらっしゃいました。メインの曲は「シエラザード」で、こんな大曲は小樽室内管弦楽団だけの演奏ではとても不可能でしたが、足りないパートの方も沢山来てくだいましましたので、演奏することが出来たのです。

 秋晴れのすばらしいお天気の中、ジョイント演奏会は開催されました。大成功でした。そして西宮の皆さんが帰られる時に、こんな楽しい事はオリンピックの開催される年、つまり4年に1度、お互いの土地にいったり来たりしましょう、ということになりました。2004年は小樽から11人で西宮に行き、演奏してきたのです。鳥越さんが西宮市にお戻りになった後も交流は続き、2008年には小樽で2回目の大規模なジョイントコンサートを開催しました。指揮者は橘直貴氏で、大曲のマーラーの交響曲第1番「巨人」を演奏しました。


 今後も西宮と小樽、遠く離れた地ではありますが、音楽を通して同じ思いを抱き、交流ができるのは素晴らしいことだと思っています。この交流の輪が末永く続くことを願っています。     2010.清水


左より、鳥越さん、西宮の原氏、藤本氏、小樽の清水
 



 

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